
「あなたにとって旅とはなんですか?」と問われる度に僕は困ってしまう。旅を旅たらしめる出来事とは一体なんなのか、質問をした人が求める答えはどんなことなのか、そういうことを考え始めると、そもそも僕が旅に出る理由がわからなくなって混乱してくるのだ(そして小沢健二のCDを取り出すことになる)。
ひとまずそういったことを抜きにして(そういう約束で書かせてもらっている)、4か月前に行ったラオスの旅を振り返りながらまず頭に浮かぶことは「ラオスの朝は早かった」ということになるだろう。
朝4時半。ラオスに朝が到来する直前、空がうっすら白み始めると誰よりも早く起きるのがニワトリだ。
まずこのけたたましい音量のニワトリの「アラーム」で文字通り飛び起きることになる。ここからしばらくニワトリの大合唱が続くので、一度起きてしまうと二度寝はできなくなる(妻は隣で熟睡していたけれど)。
仕方なく僕はホテルのバルコニーに出て、弱々しい朝の陽を頼りに本を読み始める。こんな風にしてラオスの朝は明けていく。
ラオスには3日間滞在し、そのほとんどをルアンパバーンという古都で過ごしていた。街そのものはとても小さく、1日もしくは2日あれば自転車でほぼ回りきれてしまうくらいの大きさだ。街全体を取り巻くように流れるメコン川の方がずっと存在感がある。
ルアンパバーンのメイン通りのひとつ、サッカリン通りには寺院が集中していて、一歩足を踏み入れれば、多くの仏像がバラエティに富んだ顔立ちで僕らを待ち受けている。
近くで見れば、ほとんど全ての仏像の傍らには丸めたもち米がお供えされていることに気付く。そこに地元の人の篤い信仰を見ることができる。
日本でも、思わぬところにぽつんと佇むお地蔵さんを見付けることがある。その地に住む人々とお地蔵さんの間には、ずっと昔からあたたかい交流が続いていて、それはたとえば、冬になるとお地蔵さんに手編みの小さな帽子がかけられるようなことで目にすることができる。
ラオスの仏像を見て、ふとそんな日本のお地蔵さんが頭に浮かんだ。
フランス領だった歴史の名残から、ルアンパバーンの建物には、そこかしこにヨーロッパを感じさせる雰囲気がある。
建物の多くはカフェやバルになっていて、入ればひと時旅人を寛がせてくれる。ラオスで飲んだコーヒーは、そのほとんどが日本の喫茶店で出されるコーヒーのように深煎りでコクがあり、どこかホッとする味だった。
アジアの国にいながらヨーロッパの風を感じ、一口コーヒーを飲めば日本の風景を思い出す。ラオスのカフェには心地よくも不思議な空気が流れていた。
ラオス料理は、タイ料理ほど辛くはないけれど、しっかりとアジアンテイストを感じることができる。特にレモングラスとパクチーとひき肉を混ぜた「ラープ」は、シンプルな味付けの中にも新鮮な野菜の味が引き立ち、ヘルシーで癖になる味だった。
そして現地のレストランのほぼ全てで提供される「ビア・ラーオ」は、暑い東南アジア圏ならではの軽やかな飲み口で、一口飲んだだけで「今回の旅は良かった」と思えるくらい美味しかった。
ちなみに、日本に帰ってきて「ビア・ラーオ」を飲む機会があったが、「こんな味だったっけ?」と首を傾げてしまった。よく言われることだが、やはり現地の酒には料理の料理が一番合うようだ。
毎日営まれる朝市やナイトマーケットに足を伸ばせば市井の人の顔をうかがい知ることができる。
朝市に行くと少なからずショッキングな光景を目の当たりにすることになる。採れたばかりの大量の川魚がザルの上でピチピチと跳ね、しめたばかりのニワトリが並べられ、カエルは丸焼きされたまま脚を広げ、テーブルの上に置かれた塊肉にはハエがたかっている。
はじめて足を踏み入れたときは足がすくんだ。それでも、市井の人の賑やかな会話や和やかな笑顔に囲まれていると、だんだんとその光景に慣れてくる。その場に漂う日常性は固く強張った常識を溶かしてくれるのだ。
そしてそんな人々の営みのすぐ横にいつも犬と猫がいる。おおむね平和な顔をして通りで寝そべっている犬と、野性的な顔立ちで堂々と通りを横切る猫のコントラストが面白い(とてもかわいい)。
ルアンパバーンのメインの通りでは、毎日ナイトマーケットが開かれる。日が暮れ始めるとテントの設置が始まり、通りに敷いたビニールシートやござの上には、器やTシャツや刺繍の入った小物入れなどが並ぶ。
ナイトマーケットでは、小学生や中学生の女の子もお母さんと一緒に店番をしている。店の前を通れば、控え目な笑顔で「どうぞ」と無言で接客をしてくれる。
僕が刺繍の入った小物入れを買ったときに相手をしてくれたのは、15歳くらいの女の子だった。
彼女は、僕が値段を聞くとすぐさま電卓を叩き僕に液晶画面を見せた。並ぶ数字を見て僕は、頭の中で円換算をしていた。
少しの間。その間を彼女は僕が「渋っている」と感じたのだろう。すぐに電卓を引っ込め、隣にいるお母さんと2、3言葉を交わし、先ほど提示した数字の2/3の数字を電卓に打ち込んで僕に見せてきた。少しいたずらっぽい表情が微笑ましい。
「オーケー」と僕は答えて現地のお金を渡した。商品をビニール袋に入れて、僕に渡してくれたときの彼女の照れたような笑顔に、どこか懐かしさを感じた。
ラオスの一番の風物詩といえば、毎朝僧侶が喜捨を求めて通りを裸足で練り歩く「托鉢」であろう。
実はこれが一番の楽しみでもあった。
しかしながら朝5時半に通りに出てみると、既に多くの観光客が通りに溢れ、ベンチに座り、ガイドからもち米をもらいながら説明を受けていた。
その光景を見て一気に気持ちが萎んでしまった。伝統と呼ばれる所作が観光化されてしまったことにがっかりしたのか、自分もその観光化させたひとりであることに気付き嘆息したのか、その辺はよくわからない(どちらかとも言えるし両方とも言える)。
結果として僕は托鉢には参加せず、遠巻きからその光景を眺めることとなった。
それでも通りを歩く僧侶の姿は美しかった。凛とした佇まいに映えるオレンジ色の僧衣。ゆっくりと歩く所作、彼らの所作の中には「外の世界」とは明確に境界線が引かれているように見えた。
そして観光客の中に混じって、ただじっと座りながら僧侶にもち米を喜捨する現地の人の姿も同様にとても美しかった。
日本にも伝統と呼ばれるものはたくさんある。僕にとって守っていきたいものは何なのか。僧侶とそこに住む人々のやりとりを眺めながらぼんやりと考えていた。
ここまでラオスで過ごした数日を書き並べてわかったのは、ラオスを訪れ、ラオスの暮らしを目にしながら僕は、ことあるごとに日本を「観察している」ということだ。
観察という言葉が突飛であるならば「思い出している」と言ってもいいのかもしれない。海外の日常に触れ、日本の日常と―意識的にも無意識的にでも―対比することで、自分の「現在地」を確かめようとしていたのかもしれない。
そう考えると僕にとっての旅とは、怠惰で愛おしい日常を思い出すための「入口」であり、自身を取り戻し日常に帰っていくための「出口」でもあるとも言える。それは言ってしまえば、長い人生の中で時折訪れる「通過儀礼」のようなものなのかもしれない。
そんな堅苦しく考えなくても僕はまた旅に出るのだろうけど、とりあえず現時点で言える僕が旅に出る理由は、そんなことになるのだと思う。

ライター
平山 高敏
元ことりっぷwebプロデューサー。現ドリンクメーカーデジタルマーケティング担当。コーヒー好き。酒好き。本好き。旅好き。
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